Ultra Happy!!

Ultra happy な ヲタ

携帯は時として敵になる

このブログでは基本的に私の趣味についてぼちぼちと書いていこうと思っていたのですが、趣味とは関係ない事を少し書きたいなと思います。

よく言われる、携帯の話です。
これを、高校生の私が、中学生の頃の少し苦い思い出と共に書いていこうと思います。
思慮の浅いところがありましたら申し訳ないです。すっ飛ばして読んで下さい。(語彙力が無いのも文章力が無いのも許して下さい)


私が中学生になりたての頃、私の周りの子が携帯を持ち始めました。
とはいえ、全員が持っていた訳ではなく、例えば、親が共働きだとか、塾が遠いとか、そういう理由です。携帯を持つ子達の間では、恐らく、当たり前の様にメールアドレスなども交換されていて、友達とメールをし合うのが珍しいことではなくなった、私の中1の頃はそんな感じの子どもの携帯事情だったと思います。

携帯を持つのは一概に悪いことだとは言えませんね。利点があるから携帯は使われます。しかし、私は友達が携帯を持っていることで、少なからず悲しい思いをしました。

私はある時、友達と2人きりでジャニーズのコンサートのグッズを買いに行きました。少し寒かった記憶があります。多分春頃です。

その時は、列の並びが少し長めで、外にまで続いていました。寒いし、特に何もすることがないので、私は一緒に来た友達と何かお喋りでもしようと思いました。

まあ、普通に最初は喋るんですよ。学校の誰某の話、好きなジャニタレの話、中学生が話しそうなこと諸々。
でもまあ、喋ることがなくなってくると、当然の様に2人とも無口になります。そりゃ喋ることがなくなったんだから仕方ない。

すると彼女は当然かの様に携帯を出して、携帯の中の世界に入り込んでしまいます。
置いて行かれた私はどうしたらいいの?

2人でグッズを買いに来たのに、彼女が携帯と向き合い始めてしまったら、別に私と一緒の必要は無かったのではないかと思います。携帯持って貴方一人でくれば良かったじゃん。

そう思う理由の一つに、携帯の性質があります。
今は、携帯の形状として主流なのはiPhoneスマートフォンなので、他人との連絡手段以外としても利用できますよね。
でも当時の携帯はまだガラケーが主流で、メールもしくは電話としての利用が主体です。
ですから、携帯を弄るというのは、当時の私の中では、彼女が私ではない第三者と私の見えないところで話していることと同等の意味を持っていたのです。正直不快でした。

でも、そう思っていたのにも関わらず、そのことを彼女に言えなかったのは、それは仕方ないことだと思ったからです。言ってもすぐまた携帯出すんだろうし。

今は私も携帯を持っていますが、例え相手が携帯を持っていても、携帯を出し始めても、私は人前では極力出さないようにしています。
これは私の勝手なポリシーですが、相手が出したからと言って自分まで出してしまったら、本当の本当に、現実での会話が無くなってしまっては嫌だからです。

ここからは私の持論ですが、言葉と言葉を口で交わすのと、メールの文面でのやりとりでは、全く違うのだと思います。どんなに些細なやりとりでも。

実際に、LINEで毎日会話していた私の親友と、1年越しに会った時に、私はそう感じました。毎日の様に会っていた時なら何でも言えたはずなのに、久しぶりに会う彼女との間には距離を感じました。でも、LINEのやりとりはずっと続いていて、きっとこれからも続くのでしょう。でも、また彼女と会う時には、何処か遠慮した雰囲気の中で会話が進められることでしょう。

さらに、一ヶ月ほど前の話ですが、卒業式の答辞でとある方が言っていた言葉も心に残っています。


「"私の言葉"は、携帯に打ち込んだ瞬間、フォントに固定された瞬間、"私の言葉"ではなくなる」


"私の言葉"は、私の顔の表情、私の声のイントネーション、私が瞬間的に選んだ言葉ひとつひとつ、その全てが私の言葉を紡ぎます。だから、私のものではない、誰かが考えた文字に堕とされた瞬間に"本当の"私の言葉は、霧に紛れて見えなくなります。

だから、この記事を読んだ人で、もし、心当たりがあったり、他の人を置いてきぼりにしているかもしれないと思ったなら、少しでもいい、
行動に移して見て欲しいと思います。

高校生の分際で偉そうに言うのもあれだなと思いました。でもなんか書いてたら段々そう思ってきたんです。